死神とは。

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死神、という言葉がある。
人が死ぬ、ということを理解しようとして生まれた概念だと思うんですね。

死神の定義は地域や時代によってまちまち。
というか、そもそも「擬人化」という着想が、まぁ簡単というか安直ですよね。
何が言いたいかって、死を理解することがそれほどに難しいんだ、ってこと。

https://note.com/tsukasa_ichinose/m/m9427bf6d581d

・なぜ人は死ぬのか。
・死とは何か。
・死ぬとどうなるのか。
先ほどは、その問いの難しさに着目してきた。
だって、かれこれ数千年問われ続けてきたわけでしょうから。

でも、それは裏返しで「いかにこの問いが人間にとって魅力的か」という受け止め方もできると思っていまして。
長い時間のなかで淘汰されずに残るほど、極めて人間理解のための本質的な問いなんだろうなと。

だから、死について考えることはとても大切なことだと思うのです。
大切、というか、考えたくなってしまって当たり前というか。
一方で人間は目の前の現実問題に急かされながら生きていて、そういった大きな問いを考えるほど暇じゃないです。
「そんなこと考えたって答えなんか出ないじゃん」というのが今を生きる人間の総意に感じます。

ただ、答えが出ないような大きな問いは、意外と身近にあるような気もします。
僕は、目の前に起こるくだらない現実問題と、追い求めたい大きな問いみたいなものを切り分けて考えるのは間違っていると思っているからです。
何故なら、例えば「果物とは何か」が知りたい人がいたとして。
目の前には「りんご」と「ぶどう」と「みかん」がある。
「りんご」は果物という種類のなかのたった一つの果実を指しているのであって、「果物」ではない。
ゆえに、りんごのことを調べて知るのは無意味だ、みたいな話には僕は違和感を覚えます。

決して僕は、目の前のことをコツコツやるべきだ、と言いたいわけではない。
現実問題は非常に多く、その対処だけに一生という時間を簡単に費やしてしまえるから。

ただ、「死とは何か」という大きな問いに、自分の時間を注ぐ。
その大きな問いを打ち立てながら前に進むように生きると、自然と、絡みつく蔦のなかで前に進む「切り口」のようなものがわかってきて、現実の諸問題を対処しながら大きな問いに生きることができると思うのです。

さて、死神。
かなり辛い立場の存在だと思います。
例えば、事故死は死神が起こしたものでしょうか。僕は違うような気がします。
仮に、「何かがそうさせた」、と捉えるならば、僕は死神よりももっと大きな存在な気がします。

だから、死神がいるならば、彼は死がほぼ確定した人に寄ってくるものだと思う。
そして、その人の魂をどっかに持っていく、こうして、死の「確定」をもたらす存在、くらいなんじゃないかなと。
魂はどっかに持っていかないと、何かに乗り移る可能性もあるし、腐敗していく体に依然と住んでいたら何か悪いことにつながりそうな。
全部、フィクションというか、僕の想像ですけどね。

じゃあちなみに、そんな死神が、死ぬ前の人間に寄り添うことがあったとしたら?
なぜ死神は、その人間が死ぬとわかったのでしょう。
あるいは、なぜ死ぬ前にその人に寄り添おうと思ったのでしょう。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n830b4729f549
公開日: 2022-11-11 17:00